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名称 |
国済寺 (上杉氏歴代の墓) |
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住所 |
埼玉県深谷市国済寺521 |
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電話番号 |
−
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施設概要 |
室町初期、関東管領上杉憲顕は、新田氏を抑えるため六男の上杉蔵人憲英(のりふさ)を遣わし館を築かせ、康応2年(1390)高僧峻扇令山禅師を招いて館内に国済寺
を開いたと伝えられている。憲英は奥州管領に任ぜられ、以後憲光・憲長と三代この地に居住。天正18年(1590)に徳川家康から寺領30石の朱印状を下付されている。
本堂裏手にある上杉氏歴代の墓や、令山禅師と法灯国師の頂相、黒門、三門などが深谷市の文化財として指定されているほか、本堂裏手に当時の築山と土墨が残されています。
◇黒門<深谷市指定文化財> 四脚門形式の門で国済寺の総門にあたり、建立は江戸中期頃と見られています。
◇三門<深谷市指定文化財
楼門形式の門で建立は江戸初期と言われています。(近年全面修復がされているようです)
【アクセス】 ◇電車:JR高崎線深谷駅から徒歩約40分 ◇車:関越自動車道花園ICから国道140号を経由し国道17号を深谷方面へ約8〜10Km
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名称 |
高台院 (上杉氏歴代の墓) |
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住所 |
埼玉県深谷市大字田谷308 |
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電話番号 |
−
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施設概要 |
高台院は、曹洞宗の寺で深谷山高台院永明寺といい、本尊は釈迦三尊坐像。
永禄4年(1561)深谷城三代目の城主上杉憲賢の菩提を弔うため、憲賢室の高泰姫によって再興され、姫の名にちなんで高台院と称するようになったと伝えられている。
◇上杉憲賢室高泰姫の墓<深谷市指定文化財> 上杉憲賢室の高泰姫は、元亀4年(1573)2月26日に亡くなっている。 高泰姫の墓は、本堂の左奥にあり、宝篋院塔で塔身の4面に月輪で囲んだ種子を配している。
◇高台院銅鐘<深谷市指定文化財> 高さ98cm、口径55cmの梵鐘で寛政5年(1793)江戸時代中頃に当寺境内で鋳造されたと伝えられる。
【アクセス】 ◇電車:JR高崎線深谷駅から徒歩約10分 ◇車:関越自動車道花園ICから国道140号を経由し国道17号を深谷方面へ約810〜12Km(深谷市役所裏)
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名称 |
瑠璃光寺 |
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住所 |
埼玉県深谷市稲荷町北9-25 |
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電話番号 |
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施設概要 |
当寺は天台宗で深谷山光明院といい、開山は慈覚大師で大同2年(807)創建と伝えられている。
鎌倉時代には、七堂伽藍を完備し、室町期深谷城主上杉氏は当寺の薬師堂の寅薬師を城の鬼門除けとして深く崇拝した。
江戸時代天海僧正が徳川家康の遺骨を日光へ奉還の際、当門で休憩したことから、幕府から慶安2年(1649)御朱印寺領十石が下付されている。境内の板碑は、鎌倉時代のものとされ、
側に慈覚大師が植えたとされる椎の樹がある。本堂の定門は構造こそ簡素であるが天正17年建立とされていて、また、仁王門は享保年間の建立とされる。この仁王門の仁王の股をくぐると
「はしか」が軽いということから近郷の人々の信仰をあつめたという。
◇仁王門 扁額「深谷山」、薬師堂、定門、青石塔婆ほか<深谷市指定文化財>
【アクセス】 ◇電車:JR高崎線深谷駅から徒歩約25分 ◇車:関越自動車道花園ICから国道140号を経由し国道17号を深谷方面へ深谷商工の交差点「稲荷町」を右折。
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名称 |
楡山神社 |
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住所 |
埼玉県深谷市原郷336 |
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電話番号 |
−
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施設概要 |
楡山神社は、孝昭天皇の御代の創立と伝えられ祭神は伊邪那美とされる命延喜式内社幡羅郡総鎮守の古社。
境内には高さ9m、根回り3.6m、樹齢約600年の「大ニレ」(県指定文化財)がある。「大ニレ」は山地性のハルニレで、平地で大木になるのは珍しいといわれています。
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