|
名称 |
東照宮(行田) |
|
住所 |
埼玉県行田市本丸 |
|
電話番号 |
|
施設概要 |
当社は、家康公の娘 亀姫が父の肖像を頂き、後に子の松平忠明公に伝え、忠明公が寛永2年(1625) 大和国郡山城内に社殿を造営して肖像を安置
したことに始まる。以来藩主、藩士崇敬の社となった。その後移封の都度遷座(せんざ)され、慶応4年(1568)鳥羽・伏見の戦の折 大阪城蔵屋敷内の東照宮を当社に合祀した。
社領は、郡山当時より100石を受け継ぎ明治維新まで続き、その地はさきたま古墳群の辺りと伝えられている。
明治4年(1871)下新井の地より本丸の一部である諏訪郭内の諏訪境内一隅に本殿を移し、
同33年に藩祖松平忠明公を配祀した。
【アクセス】 JR高崎線吹上駅より行田車庫行きバス(前谷経由)忍城下車
|
名称 |
久伊豆神社(行田) |
|
住所 |
埼玉県行田市桜町 |
|
電話番号 |
|
施設概要 |
久伊豆神社の祭神は、素盞鳴尊(すさのおのみこと)の子大己貴命(おおなむらのみこと)といわれ、創立は、文明年中(1469〜1487)で成田下総守顯泰(あきやす)が忍城築城に際し、城の鬼門の守護神として
祀ったといわれている。
境内には、15m四方の枝張りを有する藤があり、市指定天然記念物に指定されている。また、当社には、市指定書籍の勝海舟書「大幟」原本も保存されている。
|
名称 |
玉敷神社 |
|
住所 |
埼玉県騎西町大字騎西552 |
|
電話番号 |
|
施設概要 |
当社は、第四十二代文武天皇の大宝3年(703)、東山道鎮撫使(多治比真人三宅麿)により創建されたと伝えられる。
平安時代第六十代醍醐天皇の延長5年(927)に公布された、律令の施行細則「延喜式」の神名帳にその名を載せる由緒ある古社。
天正2年(1574)越後の上杉謙信が当国に出兵した折、当社はその兵火にかかり炎上したため、古文書、社宝なども失われ、それ以前の神社の歴史は明らかでない。
江戸時代、寛永4年(1627)頃、騎西城主 大久保加賀守忠職によって現在の地に遷座、以来明治維新に至るまで「勅願所玉敷神社久伊豆大明神」と称され埼玉郡の総鎮守として
尊崇され厚い信仰を集めていた。
当社には、300年を超える伝統を持ち、江戸神楽の原形を伝える文化庁選択・県指定無形民俗文化財「玉敷神社神楽」
が保存され年4回(2月1日、5月5日、7月15日、12月1日)素朴で優雅な舞が披露されている。
【アクセス】 ◇車: 国道122号を羽生方面へ進み玉敷の大藤の案内板を右折
|
名称 |
不動ケ岡不動尊(總願寺) |
|
住所 |
埼玉県加須市不動岡2-9-18 |
|
電話番号 |
0480 61-0031 |
施設概要 |
成田山新勝寺、高幡不動尊と並ぶ関東三大不動尊の1つ。 開山は、元和2年(1616)總願上人によるとされる。この不動尊の行事としては、2月の節分に行われる長さ3mの大松明を掲げた鬼が不動尊の回廊を駆け巡る鬼追い豆まき式と9月28日に行われる護摩火の上を裸足で渡る大渡り式がある。
【アクセス】 ◇電車: 東武伊勢崎線加須駅から朝日バスで加須車庫行きで終点下車徒歩3分 ◇車:国道122号を羽生方面へ、下多見交差点を右折し国道125号へ、不動ヶ岡交差点を左折し約200m
|
名称 |
鷲宮神社 |
|
住所 |
埼玉県北葛飾郡鷲宮町鷲宮1-6-1 |
|
電話番号 |
0480 58-0434 |
施設概要 |
当社は、出雲族の草創に係わる関東最古の大社。
神代の昔に天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七の部族を率いて当地に神崎神社(大己貴命)を祀り、
さらに天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀したことが始まりと伝えられている。
景行天皇の御世には、日本武尊が当社の御神威を崇め尊み、社殿を造営し、併せて相殿に武夷鳥命を奉祀したとされる。
桓武天皇の御世には、征夷大将軍坂上田村麿が、武運長久を祈り奥州鷲の巣に当社の御分社を奉祀したと言われています。
中世以降には、関東の総社また関東鎮護の神として、武将の崇敬が厚く藤原秀郷、源義家、鎌倉時代には、源頼朝の神馬奉献・社殿造営(建久4年 1193)、北条時頼の神楽奉納(建長3年 1251)、
北条貞時の社殿造営(正応5年 1372)、小山義政の社殿修復(応安5年 1372)などが古文書に見られる。 室町時代に至り足利氏、古河公方などの保護を受け、天正19年(1591)徳川家康から
400石の朱印地を与えられています。
|
HOME | 戻る |
|
Copyright (C) 彩の国満喫 さいたま総合情報ポータル All Rights Reserved |
|
|