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名称 |
桶川稲荷神社 |
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住所 |
埼玉県桶川市寿2-13-10 |
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電話番号 |
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施設概要 |
桶川は、江戸時代から続く紅花の特産地で山形の「最上紅花」に次ぐ産地で、山形よりも1カ月も早く収穫できたことから「早場物」として
珍重されていました。その当時しのぶ建造物として稲荷神社拝殿前の石燈籠2基(市指定文化財)が残る。当時の紅花商人により安政4年に寄進されたよされる。
拝殿の右手には昔力比べに使われた重さ160貫(約610kg)の「力石」が鎮座している。
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名称 |
氷川天満神社 |
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住所 |
埼玉県桶川市加納771 |
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電話番号 |
- |
施設概要 |
平安時代・貞観11年(869)の御創建と伝えられる。
加納天神は「加納の天神様」として親しまれ、近郷近在の人々に信仰されてきました。特に江戸時代には、天保12年(1841)発行の「木曾街道道懐宝図鑑」にもその名が見え参詣人が絶えなかったという。
このころ天神様には、諸病に効く薬湯があったともされ、現在でもこの薬湯に使用した井戸がご神水として境内に現存する。この天神社の沿革は、「宝徳2年(1450)5月24日夜、社の森に光あり、コウノトリが尊像を負って飛び来たり、社に安置して飛び去った。
正徳2年(1712)正月、菅原道真を祭神として、上加納村の鎮守とした。」と伝えられている。
その後、明治8年(1875)に上加納村と下加納村が合併し、この天満宮に下加納村の鎮守であった氷川神社を合社し「氷川天満神社」と称するようになった。
この神社の天満の称号額は、天禄元年(1618)に加納の光照寺において修業していた梵語学者の盛典が奉納したもので昭和3年に市指定文化財に指定された。「桶川市教育委員会資料より」
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名称 |
熊野神社古墳 (埼玉県指定史跡) |
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住所 |
埼玉県桶川市川田谷字宮前159 |
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電話番号 |
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施設概要 |
5世紀初めに築造された埼玉県最古の古墳の一つです。桶川川田谷の南端に位置している高さ 6m、直径 30mの円墳の墳頂に熊野神社が祀られている。
周囲には堀の跡も認められ、昭和3年神社の社殿改築のために墳頂を削って整備した際、粘度の塊の中から多数の遺物が発見された。
出土品は、硬玉勾玉(こうぎょくまがだま)4個、瑪瑙勾玉(めのうまがだま)2個、
瑪瑙棗玉(めのうなつめだま)1個、碧玉算盤玉1個、碧玉管玉(へきぎょくくだだま)67個、瑠璃小玉(るりこだま)10個、碧玉石釧(いしくしろ)6個、筒型銅器1個、碧玉巴(ともえ)型石製品2個、碧玉紡錘車4個、滑石紡錘車1個、碧玉筒型石製品4個など。
【アクセス】県道川越−栗橋線から「桶川西高入口」交差点を南へ道なりに行き、桶川西校を過ぎて約2km。 桶川駅から市内巡回バスでバス停「熊野神社社入口」下車
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名称 |
東叡山 泉福寺 |
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住所 |
埼玉県桶川市川田谷 |
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電話番号 |
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施設概要 |
泉福寺は、東叡山勅願院円頓房泉福寺と号し、比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の別格寺院。東叡山とは「関東の比叡山」という意味で、天皇の勅願所であると共に、学僧の養成道場としての学山です。
天長6年(829)淳和天皇の勅願によって慈覚大師円仁が開山したとされ、広大な寺城であったと言われるが源平の乱において戦火を被り全てを焼失してしまった。その後、鎌倉時代の文暦元年(1234)比叡山から信尊上人が来院し四人の弟子と共に復興した。
また、その弟子の一人尊海は、川越の喜多院、中院等を次々と復興すると共に、法脈からは多くの英才が輩出し関東談林が開花し、関東天台の台頭へと発展する。このことにより当山が関東天台の祖山と言われる。
泉福寺には、国指定重要文化財の阿弥陀如来座像(弘長2年 1262)をはじめとし、石の仁王像、雨乞いの龍など重要な文化財が伝えられている。
【アクセス】県道川越−栗橋線から「川田谷」交差点を南へ道なりに行き、いずみの学園を右折。 桶川駅から市内巡回バスでバス停「いずみの学園前」下車
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名称 |
知足院 -梵語学者 盛典の墓- |
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住所 |
埼玉県桶川市下日出谷556 |
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電話番号 |
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施設概要 |
知足院は、竜谷山弥勒寺と号し、古くは京都御室の仁和寺の末寺であったが、現在は真言宗智山派に属している。開基については不詳であるが天正年間に武田信玄が再興したと伝えたれている。その後、衰えた寺を盛典が中興したとされている。
盛典は寛文2年(1662)に上種足村(現在の騎西町)に生まれ、加納村(現在の桶川市内)の光照寺において光栄の弟子となり、大和の長谷寺、京都の知積院などで修行を重ね、元禄10年(1697)に知足院の住職となり、延享4年(1747)に48歳でこの世を去っている。
盛典は梵語の研究において名高い真言教学の学僧であったが、庶民への布教活動にも力を注ぎ、この知足院の観音寺を1番として33ケ所の寺院を結ぶ、足立坂東観音霊場の創設を行っている。
【アクセス】 ◇車: 県道12号 川越−栗橋線を国道17号から川越方面へ「下日出谷」交差点を右折し約300m。 ◇電車: JR高崎線桶川駅から徒歩40分。または、市内巡回バス「西循環」バスで「下日出谷」下車
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名称 |
明星院 |
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住所 |
埼玉県桶川市倉田 |
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電話番号 |
− |
施設概要 |
明星院は「五大山 興願寺」と号し、新義真言宗智山派の由緒ある寺です。寺伝によれば、室町時代初期に隆尊上人(1378没)によって開山
されたというが江戸時代までの沿革については不明な点が多い。 天正18年(1590)に徳川家康が関東に入国すると明星院は翌天正19年には寺領十石を拝領し、その寄進状は現在も
残されている。そして、この宗派の関東触頭職となり、さらに関東十一か談林(関東における十一の学問寺)の1つとして高い格式を誇った。
この寺では「明星院文書」として、戦国時代から江戸時代の太田氏、北条氏、伊奈氏、徳川氏にかかわる貴重な古文書が保管されています。その
中でも慶長18年(1613)に徳川家康から下された「新義真言宗諸法度」は宗派唯一のものといわれている。この他にも金蒔絵の行厨器(弁当箱)、金屏風などの家康から
下賜された品が伝えられている。
本堂裏の竹林の中には、県指定天然記念物である「大カヤ」の巨木があり、同じく林の中ほどには「明星院の井戸」があり、
明星院という名はこの井戸に由来する。
【アクセス】 電車: JR高崎線桶川駅東口から市内循環バス東西循環外回りで明星院すぐ /
JR高崎線桶川駅東口から加納公民館行/加納経由菖蒲車庫行バスで小針領家下車東700m
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